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Vol.2 ~変わった犬と暮らすには~ [犬ばか歳時記]

 チルーを見つけたのは、大阪の「ぱど」というタウン誌の「差し上げます」欄でした。「紀州犬雑種2カ月」と書かれていたので、ぜひ日本犬の雑種がほしいと思っていた私は、アイスクリームを手みやげに飼い主のもとへ走ったのでした。その日はただ見に行くだけのつもりでしたが、飼い主のおばちゃんの「ええ子やろ。持って帰ってーな。この子だけやねん、残ってるんは」のひと言で、即刻連れ帰ることになりました。
 ゴムまりのように弾むやわらかいからだ、真っ白い毛。私の膝の上で小刻みに震える子犬。小さいながらも、生きものの血潮が、私の皮膚を通して訴えかけてきます。「この世はすばらしい、すばらしいですとも! そうじゃありませんか、ご主人様!」と。
 私は心の底から感動を覚えました。そうしてチルーはアイスクリームひと箱で取引され、私の犬になったのです。

               


 
 おばちゃんの話によると、「おばちゃんの息子が和歌山に旅行に行った際、海辺で拾ってきた白い犬」がチルーの母親で、その犬が大阪に来てからいつのまにか身ごもった犬というのが、チルーたち5匹の子犬だといいます。つまり母犬は「和歌山」「白」の2点で紀州犬と断定された謎の犬、父犬も大阪近辺をうろついていた正体不明の犬ということになります。そう考えると、チルーは非常にあいまいな出生の犬です。現在、完全なる野犬というのはほとんど存在しませんが、「準のら犬」「かぎりなくフリーな感じの飼い犬」「フーテンの雑種」等はまだまだ健在ですから、そうした犬同士の間に生まれたチルーもまた、けっこうなフーテンぶりなのは、いたしかたないのだと思います。

ここで、チルーの特徴的な行動を挙げてみましょう。                  
1呼んでも来ない。(エサがありそうなときは来る)
2玩具で遊ばず、パンティーや靴下を盗んで遊ぶ
3ハチを足でふんづけて遊ぶ
4瀕死のセミを採って食べる
5ハトを蹴散らす
6猫がこわい
7別の犬が50メートル先に見えただけで、ほふく前進する
8大好きな食べ物は地面に穴を掘って隠し、そのうち自分も忘れる                                                 

 放蕩のかぎりをつくす反面で、とても気弱で用心深い。これもチルーの、のら犬的出生が深く関与しているはずで、矯正するのは難しそうです。
 そんなフーテンのチルーですが「散歩」「めし」「うんこ」だけはハッキリとした言語を持っています。
 まず、飛び上がって左右の前足で私をどつきながら、ワオーと叫ぶのが「散歩」。散歩から帰って1分たってもエサが出てこなかった場合、「アオアオア、アオアオア」と高い声で鳴くのが「めし」。それでもエサが出てこなかった場合、「ぐるるる、ごほっ」とオヤジ声で吠えるのが「めし、はよせんかい」。右足で地面をひとかきして、左右の後ろ足で10~20回シコをふんだら「うんこ」。この三大欲求のサインでもって、チルーは人間と意志を交わしているのです。
 
 その一方で、チルーには交信不要の「自分だけの世界」というのも存在します。それは地面を掘ること。掘削作業中のチルーは、いつもとは別の人格『牙』になっているため、「いけない」と叱ってやめさせようとすると、ボスの私にさえ、がるる、と牙をむきます。

そんな調子なので、朝、出がけに庭の角っこを掘っているチルーを目撃した場合、夕方帰ってくる頃には、家の基礎部分が1メートル近く出てしまっているほど、深い穴ができあがっています。そのまま放置しておくと一匹の犬のために家が傾くこともあり得るので、私の夫がチルーの掘った穴を埋めます。そのときのチルーは「ここまで工事が進んだのに、何故」という顔で穴のそばに立ちつくし、また翌日も、掘削作業を再開するのです。
 チルー掘る・オレ埋める・チルー掘る・オレ埋める、のイタチごっこに業を煮やした夫は、チルーの行動をよく観察したうえで、ついにひとつのアイデアを思いつきました。「チルーは、咲いているお花の根っこだけは、掘らない」という事を発見したのです。そこで夫は、花の苗をたくさん買ってきて、家のきわに植えました。するとどうでしょう! チルーは建物のきわを掘らなくなりました。どうしてか、庭の真ん中のほうを掘るのは好きではないようなので、チルーの掘削作業はしばらく鳴りをひそめています。
 
 時がたち、ひさかたぶりに、チルーをくれたおばちゃんが、様子を見に来たときのことです。おばちゃんは、よし、よし、とチルーを撫でながら、
「この子わややろ。うちにいたときから、わややったわ」と笑っていました。
 私はそのとき「わや」という関西弁が分からなかったので、あとから人に聞いたところ、「だめ」「だいなし」という意味でした。でも、おばちゃんが発した「わや」という響きに愛があったので、私はこれを誉め言葉だと思っています。                                                

(2003年『S.P.Splendid!』8月号掲載)


2006-01-04 14:26  nice!(1)  トラックバック(1) 

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